その1の続き
さて夕方6時45分からスタートした「音楽と言葉の響き~ピアノ・チェンバロ・物語~」夜の部。
演奏会が始まる前に、川手先生から注意点の説明がありました。
携帯の電源を切ること、途中の入退場は基本的に控えて欲しいということ・・・など。
芸術の鑑賞会として当たり前の、この事前説明ですが、実はなおぴぃにはトラウマがありました。
物心ついてからつい5年位前まで、結構な下痢症だったなおぴぃは、
長時間自由にトイレに行けない状態というのが恐ろしく、例えば長距離バスや、花火大会、
なかなか途中停車しない電車の特急や急行、そしてこういうコンサート・・・
簡単にトイレに行けないぞ、と思うとそれだけでお腹がグルグル~と
下痢症は克服したのに、やっぱりトラウマは超えられていなかったようで、
もう、話を聞いている最中からキュルル~となり始め、午後の部とは違う意味で
どうなることか・・・と、多少の不安を抱えながら開演を迎えました
午後の部で大分慣れてきていたとはいえ、1時間と少しのインターバルを置いて聴く
福田先生のピアノの音色の波は、またもジワジワと皮膚から入り込み、
内臓に届くと、なんとキュルキュルが治まり始めました。
目を閉じて全身に音を浴びるように聞いたり、目を開けて福田先生の表情からも
曲感じたり・・・こんな鑑賞があるのか、と。ピアノコンサートなんて、昔は退屈だと
感じた思い出も何度もあるのに。
福田先生がスゴイのか、私の感受性が変わったのか、
多分どちらもなのでしょうけれど、ずうぅっと聴いていたいと思っちゃうんです。
そしてまた・・・。川手先生の、声。
ドイツ語でぜんっぜん意味はわからないのに、どうしてこうも魂が揺さぶられるのか。
ロザリオを胸にした先生が袖から現れると、
「ああ!神よ!!!」と心の中で叫んでしまう私・・・どんだけ(もしやもう過去の言葉ですね)??
いいんでしょうか、このお値段で、この演奏会・・・。
そしてやがて、この盛り上がりは「展覧会の絵」でピークを迎えます。
「覚悟を決めてください、全部で35分もある大作です。」という説明でトラウマもピーク
最初より遥かに深刻なキュルキュルが始まり、どうなることかとまたも不安に思ったのですが。
この35分の「展覧会の絵」は・・・永遠に終わって欲しくないようなドラマティックな曲でした。
目を開けて、ほとばしるような感情をあらわに演奏される福田先生を見つめて聴きました。
川手先生を、瞬きもきっとせず、見つめていました。
全身の細胞が揺さぶられて、35分が終わる頃には、大号泣でした。
水を多く含んだ砂地の地盤で、地震の時に起きる「液状化現象」というものがありますが、
まさに、そんなイメージ。
グワーっと全身が揺さぶられて、上から水分が出ていく感じ。
悲しいとか嬉しいとかの感情ではなく、洗われていく感じ。
いろんなものが出て行って・・・30年にも及ぶトラウマも出て行ったのか、
キュルキュルももう戻ってきませんでした。
「この状態ではみなさん、帰れないでしょうから2-3曲福田先生に弾いてもらいましょう」
と川手先生は仰いましたが・・・・まさにそのとおり、液状化現象を起こした体を抱えては
とても幼子二人を乗せて運転などできません。
というわけで、ドビュッシーの「月の光」。大好きな曲。
夜の部の最初に演奏されたベートーベンの月光も好きですが、
ドビュッシーはぴぃんと透き通って、水辺の満月の明るさをイメージさせる、
とってもロマンティックな曲で、液状化現象を抑えるにはまさに適曲でした。
そして、川手先生の「空腹の狼の詩(?)」。
やっぱり絵が見えるような、語り。
一人芝居のような、そのお話が伝えたかったのはきっと、
「共感」というエネルギーの偉大さ。
それは、この日、この会場にいた聴衆にも、きっと起こったに違いないでしょう。
演奏会が終わっても、長きにわたってエネルギーを与え続けてくれることでしょう。
Oさん、そしてスタッフの皆様有難うございました。
もりのこびとたちの催しはいつも、通り一遍のものではありませんが、
今回はOさんの審美眼の高さにすっかり感服しました。
事前に夜の部がどれだけオススメなのか聞いていたのに、
もともとピアノコンサートとしては破格のお値段のチケットだったのに、
「今月は苦しいのよね」と、午後の部だけ申し込んだ自分を
本当に浅はかだと思いました
今後は素直にオススメに従ってみようっと
次回開催はいつになるかわからないとのことですが、
チェンバロの演奏もぜひ聴きたいし、そう遠くない将来だといいな、と思います。
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